勝たなくてもいい、負けんとき。『負けんとき』玉岡かおる
縁あって、玉岡かおるさんの講演に参加させて頂くことになり、
著作を読んでいる。
これは、表紙が「関学やん!」と思って借りてみた。
読みは「カンガク」じゃなくて「クヮンガク」(そこ?)
閑静な住宅街の中にあって、洋風な建物の前に芝生が広がっていて
憧れのキャンパスライフそのもの、なイメージ。
この本は、建築家であるウィリアム・メレル・ヴォーリズに嫁いだ、
一柳満喜子(ひとつやなぎまきこ)という女性の一代記。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、関学を始めとした
数々の洋風の建物を設計したヴォ―リズ建築で有名だが、
アメリカ人である彼の来日の目的は、キリスト教の伝道であった。
建築は伝道の資金を調達するために始めたものだった。
最初に英語教師として招かれた滋賀県の近江八幡を中心に活動し、
そこで生涯を終えている。
また、メンソレータムを普及させた実業家でもあり、
同志社のカレッジソングを手掛けるなど、音楽の造詣も深かった。
戦時中に日本に帰化し「一柳米来留(ひとつやなぎめれる)」と名乗る。
天皇制度の存続について進言したことでも知られている。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの人生もドラマティックすぎて、
メレルの人生を描いた『屋根をかける人』(門井慶喜:著)もめっちゃ面白い。
さて、話は戻って「負けんとき」はメレル夫人一柳満喜子の話。
もう面白すぎて一気読み。ぜひ、朝ドラのモデルになってほしい。
一柳満喜子は、播磨小野(現・兵庫県小野市)の元藩主であり、
子爵「一柳末徳」の三女として生まれた。当時の身分制度では「華族」である。
「元藩主の娘」とか「華族」についてピンと来なかったが、
子爵のご令嬢というと「お姫さま」であり、
時代であれば平民は謁見もできない存在だという。
華族という身分の特殊な状況や苦悩などは、この本を通して感じられた。
満喜子は、お姫さまとして型にはまった人生を歩んではいない。
教師としての津田梅子が登場するような当時の最先端の教育を受け、
神戸女学院の音楽部を卒業した。
その後、単身渡米してブリンマー大学で学び、そのままアメリカで
教育活動をしていたアリス・ベーコンと活動を共にしている。
アリス・ベーコンの死を機に日本に帰国。
帰国後、実兄・広岡恵三(二代目大同生命社長)の家に身を寄せている折、
広岡家の設計者として招かれていたメレルと運命的に出会い、結婚。
子爵の令嬢と外国人の結婚は、当時新聞記事になるほど話題になった。
そして満喜子はこの結婚のため、華族という身分を捨てている。
結婚後は、メレルの主宰する伝道および事業活動「近江ミッション」に加わり、
近江八幡で生涯を過ごした。
後年は、幼稚園を設立するなど教育事業を展開し、
今日の近江兄弟社学園へと発展した。
本の題名でもある「負けんとき」は満喜子の言葉ではなく、
兄・恵三の義母である広岡浅子の言葉である。
そう、広岡浅子というと、朝ドラ「あさが来た」のあさ!!
私が育休中たまたま見て一番好きな朝ドラが「あさが来た」!
波留さん演じる「あさ」の魅力はもちろんのこと、
玉木宏さん演じる新次郎はんがまた最高やったんよなぁ~。
その型破りな大実業家である浅子がいう、「勝たなくてもいい、負けんとき」
様々なことに「勝ってきた」人物に見える浅子も、
環境に自分に「負けない」ことが強さの秘訣だったのか。
「勝たなくてもいい、負けんとき」は、芯が強くてあたたかくて、
女性ならではの言葉だと思った。
満喜子は、様々な困難もこの言葉を支えに自ら人生を切り開き、
教育を通してたくさんの子どもたちを育てた。
聖書の言葉そのままに、種をまく人だった。
はっきり言っておく。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
玉岡かおるさんの実在の人物を中心にフィクションの物語性を織り交ぜて
描く作風が、好きだ。
そういえば朝ドラも現代もののフィクションより、実在した人の話の方が好き。
縁のある場所や舞台がでてくると尚テンションも上がる。
講演が楽しみ~。
大ヒットした「あさ」も出てくるし、満喜子さん、
ぜひ朝ドラのモデルになってほしい(2回目)。
ゆうらり